DENTAL MAGAZINE デンタルマガジン

SPECIAL
クライアントとドクターの心理学3 患者さんに優しい歯科医療の環境とは ~コミュニケーションを支援する心理学の立場から~
同志社大学 文学部 教授 井上 智義

目 次

井上智義(いのうえともよし)先生・略歴

1954年京都市にうまれる。78年京都大学教育学部(教育心理学専攻)卒業、大阪教育大学助教授を経て現在、同志社大学教授。80年教育学修士、97年教育学博士。在外研究ビクトリア大学客員教授。専門分野は、教育工学/言語心理学/二言語教育など。
主な著書に『視聴覚メディアと教育方法: 認知心理学とコンピュータ科学の応用実践のために』『ビジュアル・コミュニケーション: 効果的なプレゼン技法』、デンタルマガジン102・103号『クライアントとドクターの心理学』など執筆多数。

1.はじめに

2年前、本誌で“クライアントとドクターの心理学”と題し、2回にわたって、情報伝達の方法についてのプレゼンテーションとビジュアル・コミュニケーションの問題を紹介してまいりました。
第1回では、私の専門分野のひとつである「認知心理学」の研究の知見をもとに、「情報をわかりやすく伝えるには」というテーマで、人間には記憶の容量というものがあり、短期記憶では7つ前後であること、さらに、技能に関する手続き的記憶と知識に関する宣言的記憶では、その記銘する方法も記憶される場所も異なっていることなど、人間の情報処理についての特徴と効果的なコミュニケーションについての概論を述べました。
第2回では、「視覚イメージを効果的に用いるには」というテーマで、写真やイラスト、漫画やアニメ、視覚シンボルなどの視覚イメージの情報を効果的に用いて、コミュニケーションの相手にわかりやすく情報を提示するには、どのようなところに注意すればよいのかについて、具体的な例をあげて言語情報とイメージ情報の併用を提案しました。
第3回目となる今回は、「患者さんに優しい歯科医療の環境とは」というテーマで、歯科医院を訪れる患者さんとのコミュニケーションのとり方を、“押し付けの対話例”“論理ですすめる対話例”“相手の気持ちを尊重した対話例”など、具体的な対話例を比較しながら、心理学の立場から話をすすめてまいります。また、患者さんと共通の知識や記憶がある場合とない場合のコミュニケーションのとり方についても紹介いたします。さらに、最近、歯科医療の現場で普及しはじめている、院内ネットワークによる視覚イメージ情報を活用したコミュニケーションについても言及したいと思います。

2.初対面のコミュニケーション

初めて会う人とことばを交わすときには、それなりの緊張があるのが普通です。まして、それが初めての見慣れない場所での会話となるとなおさらです。そして、病院や歯科医院を初めて訪れる患者さんの場合は、なお一層その緊張が強くなると考えてよいでしょう。
さて、ドクターの方はというと、こちらは、いつもと同じ場所で、治療の必要を感じてやってくる患者さんという、いつもと同じ立場の人を迎えるわけですから、相手がもつほどの緊張がないのが普通だといえます。
コミュニケーションをとる際の人間関係のステータス、上下関係はどうでしょうか? たとえば、買い物に行った場面でのお客さんは、普通は、そこにいる店員さんよりステータスが高いと考えられますから、そんなに丁寧語も使う必要がなく、その意味では、初めての場面でもそんなに緊張することはありません。
でも、相手がドクターとなると、一般的に考えられるステータスは、その逆になりますから、必要以上の緊張を患者さんが味わっていたとしても不思議なことではありません。
ドクターがさりげなく言ったことばが押し付けに聞こえたり、親しく話そうとしただけなのに、横柄な態度と相手に映ってしまうことだって、そんなに珍しいことではないのです。
本稿では、医師と患者さんの一対一の良好な対話をテーマに取り上げ、誤解のない人間味豊かなコミュニケーションを行なっていくときには、どのような点に注意していくべきかについて、具体的な対話例を紹介しながら、話をすすめていくことにします。

3.一方的に伝えるのではなく、患者さんの気持ちをまず理解する

心理学の用語に「共感的理解」ということばや「受容的態度」というものがあります。心になんらかの問題をもってやってくるクライアントに対して、カウンセラーは、一般的には、そのような態度で相手に接することが期待されます。
この原則は、なにもカウンセリングに特有のものではなく、一般のパーソナル・コミュニケーションにも当てはまることなのです。
たとえば、Aの治療法かBの治療法かどちらが良いかというときに、医師の方には、専門的な知識があるわけですから、患者さんよりもおそらく論理的で正しい判断を下すことが可能になります。
しかし、医師の考えとは逆に「Aの治療法ではなくて、Bの治療法の方が良いのでは?」と考える患者さんがいたとしたら、医師の方には、それを説得するだけの技能が必要だということになります。しかも、それは押し付けでも、論理的な説明を通してなされるのでもなく、相手の気持ちを尊重した対話の中でなされるべきなのです。
下の対話例を見てください。

  • 押し付けの対話例

上の対話例の中で、最後に患者さんが「他に方法はないのですよね。」と言っているとおり、医師のことばは、患者さんには、十分伝わっているとは言えません。つまり、患者さんは医師に心から説得されているという状況にはなっていません。患者さんの目には、「この医師は、費用のかかる治療法を自分に押し付けているのでは」とさえ、映ってしまっているのかもしれません。
それでは、もうひとつの対話例を見てみましょう。こちらの医師の発話は、前述の例と比べると多少説明も丁寧で、論理的に対話がすすめられているといえます。しかし、ここでも、患者さんのほうには、十分な満足が得られていないと思われます。

  • 論理ですすめる対話例

【押し付けの対話例】も【論理ですすめる対話例】もどちらも良くないとすると、それでは、患者さんに満足の得られる対話とは、どのような形のものなのでしょうか?
次に示す【相手の気持ちを尊重した対話例】では、医師は受容的な態度で患者さんに接し、患者さんの気持ちを共感的に理解しようと努力しています。これまでの例で、具体的にどの部分が異なっているのかに注意しながら読んでみてください。

  • 相手の気持ちを尊重した対話例

さて、気づいていただけたでしょうか。ポイントは、患者さんが話した直後での医師のそれぞれの発話内容です。最初に、患者さんが「それじゃ、やっぱりAの治療法がいいのですか?」と質問したときに、この医師は、「Aの治療法かBの治療法かで迷っておられるのですね。」と、自分の意見や評価をいれずに、相手が言った内容を確認しながら受けとめています。これによって、患者さんは、いま自分が気になっていることを、この医師が理解してくれたということを知り、コミュニケーションの相手を好意的にとらえることになります。このようにいったん相手の発話を受けとめることが大切なのです。その後で、自分の意見なり、論理的な説明なりを付け加えると、相手はそれを聞こうとする態度に転じるのが普通です。
次の患者さんの発話は、「でも、お金はかかるのですよね。」という確認の質問です。前述の【押し付けの対話例】では、その質問の前に述べた医師の自分の意見である「長い目でみると、Aの治療法の方がBの治療法より得だ」ということを、多少表現を変えて繰り返しているのに過ぎません。それに対して、こちらの【相手を尊重した対話例】では、「たしかにお金はかかります。その点は、おっしゃるとおりです。」と、やはり、いったん相手の発話を受けとめているのです。その後の発話は、【論理ですすめる対話例】と内容的には全く同じなのですが、その「5年後にまたやり直すのだったら、今しっかりした方法でやっておく方がいいと思いますね。費用もBの治療法の2倍はかからないのですから。」というコメントが、患者さんにより受け入れられやすい結果になってしまうのです。

4.共通の話題と共通の知識

さて、いくら相手を尊重する態度を身につけたとしても、パーソナル・コミュニケーションは、それだけではうまくいくものではありません。専門的な知識をもつ医師とそうではない患者さんの間では、専門的な話になるとなかなか相互に理解することが難しくなるのです。
そもそもコミュニケーションでは、話し手が自分の伝えたい意図をあるメッセージに託して発信します。聞き手は、そのメッセージを受け取り、話し手の意図を解読することになります。その解読作業の途中では、無意識的ながら高度な推論過程が含まれているのです(図1参照)。たとえば、「ブッシュ大統領と小泉さんは、通訳を入れずに話したのかな?」という発話を理解するとしましょう。「このときの『小泉さん』は、町内に住む近所の小泉さんではなく、小泉純一郎内閣総理大臣である」という推論が即座になされます。

  • [図] 話し手と聞き手に共通の知識がないとコミュニケーションは成立しない
    図1 話し手と聞き手に共通の知識がないとコミュニケーションは成立しない

同時に「通訳とは日本語英語間の通訳ができる政府の役人だろう」というようなことも、同時に推論されてしまいます。
そのためには、「ブッシュ大統領はアメリカの現大統領である」という事実や「アメリカの大統領は英語を話す」という事実の記憶がその推論のために想起されていることになります。つまり、何気ない発話の理解一つひとつにかなり複雑な推論が必要とされるのです。
それでは、この推論はどのようなものによって構成されているのでしょうか。そのコミュニケーション場面での状況や、発話の前後の文脈、そして、コミュニケーションの当事者の人間関係が重要になってきます。
それだけではなく、話し手と聞き手の両者が、それまでに共有している経験や、両者がもっている共通の記憶や知識が、それにもまして重要な役割を果たすことがあります。
次の対話例を見てみましょう。

  • 医師と患者さんが親しい場合(共通の知識や記憶がある場合)

この対話例は、ある歯科医師と、彼と面識のある患者さん、鈴木さんとの会話です。
話題は歯周病と喫煙との関係についてのことのようですが、比較的短い会話ですが、話の要件はお互いスムーズに伝わっています。
医師は、鈴木さんがどの程度の知識を持ち合わしているかについても把握していますし、彼がヘビースモーカーで煙草を止められないということについても理解しています。
ところが、同じような話題をするときでも、初対面の患者さんが相手では、このようにスムーズに会話が進むとは限りません。
歯科医師にとっては使用頻度の高いことば「歯周病」も、それを初めて聞く人にとっては、一度で聞き取れるかどうかもわかりません。
聞き取れたとしても、その意味が理解できないかもしれません。
ですから、相手がどの程度の知識を持ち合わせているかの評価は、とくに初対面の人と会話をするときには、実に重要になってくるといえるのです。
その患者さんが喫煙していることはすぐにわかったとしても、その量がどのくらいなのかということは、普通は容易には推測できません。
また、こちらの助言を受け入れそうな人なのかどうかも、初対面の場合は、とくにその判断が難しくなります。
ですから、同じような話題をする場合にでも、初対面の人が相手のときには、より慎重にことばを選んで会話を進めていかなければいけないことになります。
次にそのような例として、初対面の患者さん、木村さんとの対話例を紹介します。
とにかく、共通の知識も少なく、お互い相手がどのようなタイプの人かよくわからないときは、同じ内容を伝えるときにでも、多くの情報を送らないといけないことになるのです。
それを相手に関係なく、同じようにしてしまうと、こちらの意図が全く伝わらなかったり、誤解が起こったり、不親切だという印象を与えたりしてしまうことになります。

  • 医師と患者さんが初対面の場合(共通の知識や記憶がない場合)

5.院内ネットワークが豊かなコミュニケーションを支援する

ところで、ことばだけで、すべての情報は伝わるのでしょうか?
普段から私たちは、あまりにも言語に依存した生活をしていますので、言語は万能だと思い込みがちですが、視覚イメージ情報を併用することで、情報がよりわかりやすく相手に伝わり、人間味のあるコミュニケーションが可能になります。
いくら平易に専門用語を説明してみても、いくら親切に対応してみても、それだけではコミュニケーションがスムーズに運ぶとは限りません。
ことばだけでは具体的なもののイメージがわかない場合があります。
そんな時、たとえば、患者さんの口の中を映し出す装置があれば、その場のコミュニケーションも上手く進むことになります。
また、医師がもっていて患者さんがもっていないような専門的な知識も、視覚イメージ情報の形で患者さんに見せることができれば、共通のイメージを土台にしてコミュニケーションを進めていくことが可能になります。
さらに、病気が進行した場合の画像が映し出されたり、通常の場合と比較できたりする装置があれば、診査の段階で、あるいは治療や指導の段階で、医師と患者さんが同じ視覚イメージの情報を目の前にして、具体的なやりとりが可能になります。
患者さんに優しい歯科医療の環境を整えるには、設備の面でもいろいろな工夫が必要になってきます。
患者さんにとってみれば、受付で尋ねられたこと、問診表に記入したことが、すでに医師に伝わっているかどうかも気になるところです。
医師に出会う前のそのような情報も、医師と対面している状況で、オンラインで利用可能であれば、医師に対する患者さんの信頼度も高められることになります。
本稿では、コミュニケーションを支援する心理学の立場から、「患者さんに優しい歯科医療の環境とは」どのようなものかを、いくつかの具体的な対話例とともに示してきました。
相手に情報を伝えようとすると、最初に、相手がどのような人かの把握をしなければなりません。
相手を理解しないで、こちらのペースでコミュニケーションをすすめようとすると、相手はこちらの話を聞いてくれないばかりでなく、不必要な誤解が起こる可能性が大きくなります。
また、ことばを過信しすぎることも、誤解を生じさせる原因になります。
とくに専門的な用語などを使用するときは、写真やイラストなどの視覚イメージ情報を活用して、具体的に目に見える形で提示することが重要になります。
そのような工夫がなされて初めて、患者さんと医師のコミュニケーションは、好ましい方向へ向かうものと考えられます。
最近、普及しはじめている院内ネットワークは、患者さんとの豊かなコミュニケーションを支援するツールのひとつとなるでしょう。