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超高齢社会の今、歯科医療に何が求められているのか

神奈川県横浜市 加藤歯科医院 院長 加藤 武彦

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■目 次

超高齢社会に起因する医療費・介護費の増加を背景に、政府は健康寿命の延伸、医療費削減を国策として掲げています。そうした中、注目されているのが訪問歯科医療です。40年以上に渡り訪問歯科診療を続けてきた加藤武彦先生に、高齢者医療、在宅医療の現場で今、何が起きているのか。そして、歯科が果たすべき役割とは何かについてお話をうかがいました。

■歯科医師に求められていること

[写真] 院長 加藤武彦
横浜市 加藤歯科医院
院長
加藤 武彦

「食べられるようにして欲しい」。これは訪問歯科診療に出向くと患者さんやご家族、病院関係者が口々に言われる言葉です。きちんとした口腔ケア・口腔リハビリを行ったうえで“嚙める義歯”を製作し、その患者さんの口腔機能に合った食形態を考慮しながら食事指導を行う。高齢者医療や介護の現場では歯科医師に対して、そうした診療の実践を強く望んでいます。
咀嚼機能が衰えると低栄養などに繋がり、寝たきりを招く原因となります。反対に、口から食べられることでADL(日常生活動作)が向上し、寝たきりの防止につながります。また、咀嚼を通した筋力による翼突筋静脈叢の働きは脳内の血流を活発にすることが知られています。何よりも食べる喜びは生きる意欲に繋がるものです。それゆえ、「食べられるようにして欲しい」と誰もが切実に訴えるのです。
では、私たち歯科医療従事者はそうした要望に応えられているのでしょうか。

■「義歯不適応症」で片付けられる難症例の高齢患者

訪問歯科診療でもっとも多い依頼が義歯に関するものです。以前であれば、総義歯の患者さんの多くに必要十分な骨が残っていました。ところが、高齢化が一層進み、今では90歳、100歳を超える患者さんを診ることも珍しくありません。それにともなって増えているのが長期にわたり総義歯を使用している無歯顎患者です。
彼らは長らく天然歯が喪失していることで顎堤吸収が進み、従来のセオリーでは義歯の維持安定が得られなくなっています。そのため、食べられない、飲み込みづらい、最終的には食事のときに義歯を外す、残念ながらそうした患者さんをよく見かけます。また、義歯の調整、製作を歯科医師に依頼しても、下顎はフラット、上顎はフラビーガムというのが当たり前の状態であるため、「義歯不適応症」という言葉で断られてしまうケースまであります。
このような症例に対して私が実践しているのがニュートラルゾーン理論によるデンチャースペース義歯です。吸収した骨の量だけ義歯床の体積を増やし、人工歯を天然歯がもともとあった位置に戻すという考え方で、顎堤条件に左右されずにしっかりとした吸着が得られ、従来のセオリーでは難しかった舌房の確保も可能となります。
1979年の第一症例以降、デンチャースペース義歯の臨床を重ねてきましたが、大学で正しいこととして教わったセオリーから方向転換することは、そう簡単ではありませんでした。何度かの症例を重ね、「食べられる口づくり」にはこの方法での義歯製作しかないと確信を得たとき、呪縛から解放されたような思いを抱いたことを今でもよく覚えています。

  • [グラフ] 医科・歯科受診率
    医科・歯科受診率。医科は外来・入院ともに成人期以降の受診率は増加傾向だが、歯科外来は75歳以上になると減少する。
    • [写真] 90年代以降に立ち上げた地域医療研究会の様子
    • [写真] 90年代以降に立ち上げた地域医療研究会の様子
    90年代以降に立ち上げた地域医療研究会の様子。医療・福祉・介護や行政である保健所の方も会員になってもらい、地域で活動していたが、大きなテーマとして認知症と摂食嚥下障害が取り上げられた。この活動が後の全国訪問歯科研究会(加藤塾)へと受け継がれていく。

■義歯を投げ捨てられた経験から

デンチャースペース義歯への方向転換は、認知症を患った顎堤吸収の強いある患者さんとの関わりがきっかけでした。それは同時に、私を認知症理解へと向かわせた出来事でもありました。□訪問歯科において、その患者さんに従来法で製作した総義歯をセットしようとしたときのことです。「こんなもの、入れてられるか!」と義歯を投げ捨てられてしまったのです。患者さんの目つきは明らかに私を叱っていました。その目を見たとき、直感的に私は「認知症でもしっかりと理解している」そう感じました。そこからさまざまな探究、模索が始まったのです。
その後、今で言う認知症対応型のグループホームへ研修に行く機会に恵まれました。そこでは入所者が包丁でキャベツを切り、鍬を持って家庭菜園を営んでいました。当時、そうした施設では入所者が外出できないよう厳重に施錠することが一般的でしたが、そこでは職員が付き添って「散歩」をしていました。決して「徘徊」とは呼ばないのです。
その施設で私は認知症について学びました。的確なケアを受けることで進行を遅らせることも好転させることもできること。個人を尊重した対応が大切であること。認知症患者は五感で物事を感じ、生活していること。
認知症は大脳の機能の一部が失われますが、生きて行くうえで必要な感覚、感情、知恵は残ります。だから、対峙した相手が敵か味方かの判断を五感を頼りに判断します。そのことを知ると、義歯を投げ捨てた患者さんの行動が理解できました。私がセットしようとした義歯が、交叉咬合で上顎の舌房が狭く、患者さんにとっては舌感が悪かったために我慢できなかったのです。

  • [写真] 伊豆に住む100歳のおばあちゃん
    伊豆に住む100歳のおばあちゃん。デンチャースペース義歯の理論で挑みました。
    • [写真] おばあちゃんの口腔内の状況
    • [写真] おばあちゃんの口腔内の状況
    左のおばあちゃんの口腔内の状況。下顎はほぼフラット、上顎は吸収が強く下顎のアーチに対して上顎が小さい。このような条件の患者さんに対して、従来法では製作の発想が湧かず、デンチャースペース義歯へと方向転換を行った。
  • [写真] 旧義歯の状態
    旧義歯の状態。
  • [写真] 義歯
    舌や頰筋、口輪筋など、義歯の内と外の筋肉とバランスのとれた筋圧中立帯に適合した義歯を製作すれば、吸着の出る安定した義歯になる 。
  • [写真] 義歯セット一週間後
    義歯セット一週間後。食事のスピードも早くなり、なすやイカ刺しも食べ、家族全員がビックリ 。

■認知症患者への治療に際して

[写真] 院長 加藤武彦

認知症患者の治療に入る前には慎重なイントロダクション(しぐさ)が必要です。相手の感じている世界をそのまま評価し、相手の世界へと入っていくのです。
先日、認知症の母親の義歯を見て欲しいと遠方から来院された男性がいました。私は母親に「いいお子さんですね。あなたがいい教育をしたから立派な大人になれたんだよ。子どものときに面倒を見たんだから、今、面倒を見てもらうのは当然。だから、堂々としてください」と伝えました。そして、今度は男性に「お母さんからお礼を言われたことないでしょ。私がお母さんの代わりにお礼を言うよ、ありがとう」と頭を下げました。すると、そのお母さんはニコリと微笑まれたのです。認知症を患うと短期記憶が維持できなくなり、言語能力が衰えます。しかし、そのお母さんは私の言葉も息子さんの行動もちゃんと理解していたのです。
認知症患者の治療をする際にはアイコンタクトを保ちながら、相手がどうして欲しいかを察し、安心感を与えることが肝心です。そして、患者さんやそのご家族との人間関係を築きます。それができて初めて治療が行えるようになるのです。

■医科歯科連携で大切なこと

以前、胃瘻を造設した80歳のパーキンソン病患者を診て欲しいと病院から依頼を受けたことがありました。患者さんとご家族の要望は「もう一度、口からおいしく食事をしたい」というものでした。
製作した総義歯をセットした後、「胃瘻は外さないでください。お楽しみ程度に食べて、今までのリハビリは続けてください」と患者さんとご家族に伝えました。後になって知ったのですが、胃瘻を造設したドクターが私の診療する姿を後ろでずっと見ていたそうです。
後日、その病院からお礼の手紙が届きました。ご本人とご家族が喜んでいること、スナック菓子を食べ、次はご飯と鰻を食べたいと希望していること、そして、テストフードのミートボールを痛みなく食べている姿を見て主治医が涙ぐんでいたことなどが綴られていました。ドクターは私が「胃瘻はいらない」と言うのではないかと心配していたそうです。この患者さんは誤嚥性肺炎を繰り返していました。胃瘻を造設した理由や経緯が病院側にはあります。噛める義歯が入ったからといって、これまでの経過を無視すれば、きっと患者さんやそこに関わる人々に笑顔は生まれなかったと思います。医科歯科連携にはそれぞれの立場の尊重、そして、互いの気持ちを通じ合わせようとする姿勢が大切です。

    • [写真] 医科歯科の連携
    • [写真] 医科歯科の連携
    医療法の改正により、急性期、回復期、維持期の各病院の機能分化が鮮明になり、そのうえ入院期間の短縮が求められ、患者の在宅復帰率により病院の振り分けが行われている。特に回復期リハビリテーション病院では、できるだけ「口から食べられるようにして」退院させるべく医科歯科の連携がはじまっている。
  • [写真] 介護技術を学ぶ風景
    在宅医療の現場では介護者がいないケースもある。そのため、自ら介護用のおむつを履き、介護技術を学んだ。

■本当に望まれる口腔ケアとは

口腔ケアが誤嚥性肺炎の予防に繋がることは広く世間でも知られるようになりました。しかし、高齢者の口腔ケアは汚れを落とすだけでは不十分であることはほとんど知られていません。むしろ、口腔内を引っ掻き回すことで汚れが咽頭側に落ち、却って誤嚥性肺炎を招くことさえあります。また、高齢者の口腔内は粘膜や舌が乾燥していることが多く、汚れと一緒に唾液を拭き取ってしまうとさらに乾燥が進みます。こうした患者さんには唾液の分泌を促すマッサージや舌のストレッチが有効となります。
さらに重要なことは咽頭のケアです。口腔内に乾燥した痰がこびりついた患者さんの場合、硬い痰のほか、服用した薬剤や食物残渣が咽頭に詰まっていることがあります。これを取り除かない限り呼吸も食事も楽にはなりません。一朝一夕で習得できる技術ではありませんが、高齢者の口腔ケアは咽頭までケアできることが本来的には望ましいのです。

  • [写真] 92 歳女性。要介護状態。
    92 歳女性。要介護状態。従来法で作製された来院時の旧義歯。上顎義歯を舌で支えている状態だった。
  • [写真] ニュートラルゾーン理論によって作り替えた義歯
    ニュートラルゾーン理論によって作り替えた義歯。失われた骨を床で補い、辺縁封鎖により維持安定を得る。
  • [写真] 左・来院時、右・治療後。
    左・来院時、右・治療後。天然歯が残っていたころの顔貌が回復し、旧義歯のときよりも若々しくなる。

■「食べるところを見るまで帰ってくるな!」の真意

「う蝕の洪水時代」と呼ばれていた頃、私は小学校の校医を務めていました。C1の子どもが年を追うごとに悪くなり、やがて小児義歯になる。そうした状況に悔しさを感じ、1970年代から小学校などで「ノンペースト」「ノンウォーター」「その場磨き」という手法を用いた歯磨き指導を実施、DMF歯数の減少を実現してきました。
う蝕予防は健康の自己管理を相手にさせなくてはなりません。相手の態度や行動を変容させるには心理学や行動科学の素養が必要です。この頃の経験や学びが後々の訪問歯科にも生きていると感じています。
現在、病院では入院期間の短縮が求められ、口から食べられるようにして、できるだけ早く退院させようと歯科医師への訪問診療依頼が増えています。また、診療報酬改定においても長らく在宅歯科医療の推進は大きな主題となっています。しかし、「食べられるようにして欲しい」という要望に歯科界が十分に応えているとは言い難い状況です。
私が主宰する全国訪問歯科研究会(加藤塾)では「食べるところを見るまで帰ってくるな!」と口を酸っぱくして言い続けてきました。
「食べられるようにする」ことは患者さんの切実な要望であると同時に、健康寿命の延伸、医療費削減といった国策にも繋がるということを私たちはよく理解する必要があるでしょう。

■患者さんの喜びを我が喜びとする

“患者さんの喜びを我が喜びとする”、その一心で私はこれまで数々の臨床に携わってきました。より多くの喜びと巡り会うことで蔵(くら)が建つことを私は知っています。その蔵とは“心のなかに建つ蔵”のことです。そして、それは損得勘定だけではけっして得られない、何物にも代えがたい財産です。
よく観察し、深く考察し、どういう結果を出せば患者さんが喜ぶのか。その答えの探求に医療人として真摯に向き合う先生が一人でも多く訪問歯科診療の現場に足を運んでくださるよう願って止みません。

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