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「摂食嚥下障害」を学ぶため自院を一時閉院し、単身大阪へ
高知県高知市 いとう歯科 院長 /大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員 伊藤 充孝

■目 次

[写真] いとう歯科 院長、大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員 伊藤 充孝
高知県高知市
いとう歯科 院長
大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員
伊藤 充孝

超高齢社会における深刻な問題の一つに摂食嚥下障害が挙げられます。摂食嚥下機能の低下は「低栄養・脱水症」「誤嚥・窒息」などを引き起こし、QOL低下にも繋がります。高知市開業の伊藤充孝先生は“近隣の高齢者を救うため”この摂食嚥下障害をより深く学ぶべく、自院を一時閉院し、単身大阪で1年間の研修を決意します。今回は、その経緯と学びの内容について伺いました。

■伊藤 充孝先生プロフィール

高知県出身
平成10年
新潟大学卒業
高知県内の歯科医院で勤務医として7年勤務
平成17年
高知市内で「いとう歯科」開業
令和2年3月
「いとう歯科」を一時休業、大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員として勤務
令和3年3月
大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員としての研修を終了
4月
「いとう歯科」診療再開(予定)
[写真] いとう歯科外観
高知市内にある「いとう歯科」の外観。多くの高齢者が伊藤先生の帰りを待っている。

■火がついた“歯科医師魂”

私は今から約15年前に高知市内で開業しました。一般歯科外来を中心に、歯科衛生士2名とアシスタント1名、ユニット3台体制で診療を行ってきました。訪問診療には週に2度ほどお昼休みの合間を使って出向いていましたが、そこでは簡単な治療のほか、義歯の調整や修理、さらに「お口が汚れているので丁寧に歯磨きしてね」などとアドバイスする程度でした。
そんな私に転機が訪れたのは、2018年4月、高知県歯科医師会が主催する「同行訪問歯科研修」という制度に参加したことがきっかけです。大阪大学の顎口腔機能治療学教室(以下、顎治教室)の野原幹司准教授と田中信和助教を講師に迎え、2ヵ月に1回のペースで高知県内の施設に赴いて入所者の方にメディカルインタビュー(医療面接)や所見をとり、ミールラウンド(摂食嚥下ラウンド)を行った後、当日の実施内容について解説していただくというプログラムで、全国でもほとんど例を見ない取り組みでした。
私は性格的にも手抜きすることはないので、堅実に丁寧に診療を行っていましたが、歯科治療に対して特別強い思い入れを抱いていたわけではありませんでした。しかし、この研修に取り組むなかで、摂食嚥下という分野が医科も歯科も十分に手がつけられない無法地帯になっていることを知り「こんなに高齢者が困っているんだったら私がやってやる!」というかつてないほどの“やる気”が湧いてきたんです。それはまさに“歯科医師魂に火がついた”と思える瞬間でした。

■昨年3月に自院を一時閉院し、大阪大学顎口腔機能治療学教室に入局

研修を終えた後、顎治教室では次世代の歯科医師育成を目的に、全国から入局者を募集していることを知り、矢も盾もたまらず応募しました。そして、幸運にも採用が決まり、2020年3月から1年間、大阪大学歯学部 顎口腔機能治療部医員として、摂食嚥下についての学びを深めることができました。
摂食嚥下の分野は、高齢化に伴い医療が進化した現在でも、ある意味アンタッチャブルな領域とされ、指導してくださる先生が全国でも極端に少なく、阪大の顎治教室にも多くの熱意ある先生方が毎年全国から応募されます。一般的には若手の方が多いようですが、臨床経験がある中堅の先生が一時休職して入局される例もあるようです。もっともそういう方はほとんどが勤務医さんで、開業医では私が初めてらしく「一時閉院してまで入局してきた人はいない」と半ば伝説になっているようですが(笑)、私としては「この機会を逃したら必ず後悔する」という強い思いがあったので、迷うことはありませんでした。もっとも、私が独身で身軽だったことも決断に影響していると思いますが・・・。
在局期間は2年間が多いのですが、私は「地元で困っている方のために少しでも早く実践したい」という気持ちが強く、最初から1年の予定で入局しました。1年で学ぶのはさすがに大変でしたが、若い方とは違って社会経験や臨床実績といったアドバンテージがあったので、とにかく1年で可能な限りひたすら摂食嚥下のノウハウを吸収することに専念したのです。

■摂食嚥下の分野は“無法地帯” !?

大阪に来て摂食嚥下を学ぶなかで再確認したのは、この分野には大きなニーズがあるにもかかわらず、いわゆる“無法地帯”になっているということでした。少し語弊があるかもしれませんが、医師や歯科医師は「疾患が治癒すれば終わり」という考え方に終始することが多いように思います。しかし、慢性疾患を抱えた高齢者が命を繋げていくためには、何より“食べ続ける”ことが重要ですし、そこには常に何らかのサポートが欠かせません。ところが現状では、この分野を主導的な立場でサポートする職種が皆無なのです。私はその状況に驚きを隠せませんでしたが、一方で「それを担うべきは私たち歯科医師しかない」とも考えるようになりました。それ以来、摂食嚥下という分野によりいっそう踏み込んで、その知識や技術を学ぶ毎日は「歯科医師になって本当によかった」と感じられるかけがえのない経験になっています。

■歯科診療は「嚥下診療」

顎治教室の診療スタイルはまさに“街のお医者さん”です。まずお年寄りの手を握って脈をとったり、首や筋肉も触ったり、とにかくいろんな部位を触診するんです。聴診器を当てて呼吸の早さや心拍数も確認します。そうして全身状態を把握したうえで、最後に口(歯)なんです。普通の歯科ではちょっと考えられないですよね。ですから、う蝕を治療する際でも「ここにう蝕があったら細菌が増殖して誤嚥性肺炎になるリスクがある、でも半寝たきりの状態ではクラウンを被せるのは厳しい、それなら埋めておこう」という発想になります。細菌の繁殖を抑えるために最小限の治療をする、被せ物は入れても入れなくても「食べることができればOK」という考え方です。テクニックは二の次で、まず“機能回復に最大限の力を注ぐ”とでもいえばいいでしょうか。やはり20歳の方と80歳の方とでは診るべきところがまったく違いますし、治療方針も明確に分けて考える必要があることも学びました。

伊藤先生が臨床で経験したケース

顎治教室の医局員は全員週に1回は必ず往診を行う。伊藤先生は毎週火曜日に近隣の歯科医院の訪問診療に同行し、実際の患者さんと向き合ってきた。
  • [写真] 神経変性疾患の方

    神経変性疾患の方です。パルスオキシメーターを見ています。この時はSPo₂が90を切ったので予定していた直接訓練は中止しました。

  • [写真] 脳卒中既往の方

    脳卒中既往の方です。新製義歯の調整で伺いました。呼吸状態を聴診や触診で診ています。嚥下状態はよくなく、ADLも下がっています。歯科診療は「嚥下診療」です。このような方に義歯を渡すだけでは、誤嚥性肺炎のリスクがあるので、口腔や義歯の清掃を行い、喀出力を上げるために呼吸筋のストレッチ、さらにご家族に食事内容の助言なども行います。

  • [写真] 頸髄損傷で人工呼吸器の方

    頸髄損傷で人工呼吸器の方です。誤嚥のリスクはないので通常通り注水下で歯牙切削した後、CR充填をしているところです。喋られることはないですが、表情筋で「会話」は成立します。

  • [写真] 脳卒中既往の方

    この方も脳卒中既往の方です。月に1回、直接訓練としてゼリーなどを経口摂取してもらっています。バイタル、覚醒状態、痰の有無、などを診ます。複数回嚥下で咽頭がクリアになるのを待ったり、声掛けで嚥下を促したり、少量ずつ慎重に摂取してもらいます。歯科診療は「嚥下診療」ですから、うまく食べられると、患者さんも私たちも自然と笑顔になります。

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